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高知県の102歳の医師が教えてくれた「死ぬ1週間前」まで健康でいられる「秘伝」(引用記事)


高知県の過疎地で、
「誰もが元気にポックリ死ねる町」を体現した
102歳の医師が教えてくれる「満足な生と死」とは?
ノンフィクション作家の奥野修司氏がレポートする。

【「満足死」を目指すべき】


今から20年ほど前のことだ。
「尊厳死」ではなく、「満足死」を目指すべきだと訴える医師がいた。
疋田善平(ひきた・よしひら)といい、当時ですでに80歳を超えていた。
疋田さんは、高知県の中ほどに佐賀町(現在は合併して黒潮町)
という小さな町の診療所で医師をしていた。
「Dr.コトー」と同じで、もちろん医師は疋田さん一人である。
もとは京都国立病院で内科医長をしていたのだが、
僻地で予防医学を実践したいと、
50歳になったのを機に退職して佐賀町にやってきたのである。

そこで疋田さんは、住民にどんな死なら満足できるかと尋ねると、
大半は「死ぬまで元気でいて、
死ぬときはぽっくり逝(い)きたい」だった。
佐賀町には「寝たきり老人」や
病院生活をしている老人が多かった背景もあるのだろう。


では、もしも寝たきりになったら、
家族はどれぐらいなら世話できるかと尋ねると、
どんな家族も1カ月未満なら喜んで世話してくれるが、
2カ月3カ月となるとだんだん粗末に扱われるという。
寝ついてから1週間で逝くのが理想だというので、
これを「満足死」とするなら、
それを実現するためにはどうすればいいか。



つまりどうすれば死ぬまで元気でいられるのかと思案した。

あるときこんな調査をした。

佐賀町というのは土地が急峻で、
農業中心の山間部と、漁労中心の市街地に分かれていた。
それぞれの寝たきり率を調べてみると、圧倒的に農村は低く、
入院患者も市街地より6分の1と少ないうえ、
逆に90歳でもかくしゃくとしている老人は市街地の3倍もいた。
農村のほうが元気な高齢者が圧倒的に多かったのである。

農家といっても田畑が小さくて収入が少ないから、
老いても自分の食べる野菜は自分で作っていた。
そんな事情から、疋田さんは、
高齢になっても畑仕事などで常に筋肉に負荷をかけることが、
結果として老化を遅らせ、
死ぬまで元気で過ごす人が多い理由だと考えた。
そのことをこんなふうに説明してくれた。

人間には運動をするための細胞(筋肉)と、
生命を維持するための細胞(臓器)があり、
生命維持の細胞は死ぬまで働くが、
運動するための細胞は使われないとどんどん萎縮していく。
高齢者が骨折して寝つけば1週間で筋力の10~15%が低下し、
2カ月も寝つけば寝たきりになるのがその一例だ。


それを防ぐには、常に運動能力のある細胞を活性化させ、
生命を維持する細胞と同時に衰えていくようにすればいい。
そうすれば住民の「満足死」を実現できるはずだと――。
「満足死」という文字から「死」を目的にしているようだが、
実は「満足死」を実現するために
「どう生きるか」を目的にした思想なのである。

それ以来、疋田さんは住民にこう言い続けた。
「死ぬまで働きなさい!」
働けというのは、筋肉を動かせという意味である。

これを住民に説き続けたらどうなったかといえば、
疋田さんの診療エリアにいた50人の寝たきり老人が数年後に2人と、
限りなくゼロに近づいたのである。それだけではなかった。
疋田さんが佐賀町に赴任して18年目に、
全国でも珍しく国民健康保険の保険料を下げたのだ。
原因はもちろん、住民が元気になったからである。

【自分に合った走りをするべき】


このことは2007年に
『満足死 寝たきりゼロの思想』
(講談社現代新書)としてまとめたのだが、
のちに絶版になっていたのを、
医学生向けに出版したいから
書き直してほしいという出版社があらわれた。
そこで疋田家に了解を得ようと電話をしたのだが、
なんと疋田さんが102歳で健在だという。
そのとき、疋田さん自身が
「満足死」を実践されてきたからではないかと、
ふと思ったのである。

当時は私自身が体力に自信があったせいだろう、
もっぱら「満足死」という思想だけに関心を向け、
それを実現するための過程については、
疋田さんから聞いていながら
あまり記憶していないのは関心がなかったからだろう。
年齢によって物事を見る目が
これほど違うものかと我ながら驚く始末だった。

当時の疋田さんは、
毎朝夜明け前に2キロの距離を20分かけて走っていた。
走るというより歩くスピードに近く、
住民から「あれは歩いてる」
と言われたことを伝えると、こう返された。

「ウォーキングでも5000歩がいい1万歩がいいと言いますが、
所詮は他人の基準ではないですか?
自分の健康のためにやるなら、
自分の体と相談して自分の基準に従うべきです。
他人を基準にしたら長続きしません。
5000歩でも7000歩でもいい。
本人がちょっときついぐらいがベストなんです」

スピードもそうだ。
歩くスピードのジョギングならウォーキングでもいいように思うが、
筋肉にかける負担はジョギングの方がはるかに大きく、
それが疋田さんの体力に合っているだけのことなのである。

運動嫌いだった私は
「ジョギングですかぁ」と言い淀んでいると、
ウォーキングでも十分で、
自分に合った歩き方をすればいいと言った。

例えばだらだらと歩くのではなく、
通常の歩行スピードが4km/時前後だったら、
これを5km/時とか6km/時の速歩で歩く。
あるいはしばらく走った後で歩き、また走るといったように、
自分の体力に合わせて少しだけハードルを上げればいいと言った。

最近の研究で分かってきたことだが、
歩くスピードは年齢とともに落ちていき、
80歳前後になると30歳の頃の半分ちかくまで落ちるが、
早歩きできる人は健康寿命が延びると言われている*。
それだけではない。
記憶力を維持するのにもっとも効果が高いのが定期的な運動で、
特に有酸素運動は効果が高いという研究もある。

肝心なのは、無理な目標を定めず、
継続することなのである。

都会なら市民農園を借りて、
毎日畑仕事をするのもいいだろう。
実際に疋田さんは、
引退した後は畑仕事をするつもりで土地を借りていた。
食べるための農作業ならオーバーワークにもなるが、
健康のためなら止めたいときにやめればいいのである。

【毎日30種類以上の食材を食べる】


ジョギングの後で疋田さんの足を見て驚いた記憶がある。
昔、「柔道の父」といわれた加納治五郎の写真を見て、
ふくらはぎが盛り上がっているのに驚いたが、
疋田さんのふくらはぎもそうだった。
ふくらはぎは「第二の心臓」といわれ、
健康のかなめでもある。
これも佐賀町に来てから
毎日走ったことによる「貯筋」だろう。
102歳になって、
さすがにベッドで過ごす時間は多くなったが、
それでも自分でトイレに立ったりできるのは、
この「貯筋」がまだ残っているからだともいえる。

「若い時は金のために働き、
年をとったら健康のために働きなさい。
余裕があるならボランティアでもやって
社会に役立っていると実感できれば、
その人の人生はさらに充実してより健康になります」

走るのもいいが、
働いて皆に喜んでもらえれば気分がいいし、
幸せを実感しながら健康になれるのだという。
実は、定年になったからといって何もせずに家にいると、
男性ホルモンの数値が減少していき
健康障害を引き起こしやすくなるそうだが、
外に出て活動をすると数値が上がって
健康寿命が延びることが分かっている。
疋田さんが半世紀も前に取り組んだことが、
数値で証明されるようになってきたといえるだろう。

健康は運動だけでなく食事も重要だが、
疋田さんは食事にそれほどこだわっていなかったせいか、
詳しく聞いた記憶がない。


ただ、昔から母に言われたことを実践していると言ったことがある。
それは、毎日30種類以上の食材を食べるように心がけるということだ。
特定の食材に偏らず、満遍なく食べるということだろう。
ちなみに83歳だった当時の朝食を見せてもらったが、
食卓にはこんなメニューが並んでいた。

食パン2枚、ゆで卵1個、はちみつ、ヨーグルト180ml、牛乳400 ml、ほうれん草のおひたし、トマト2個、きゅうり1本、りんご、納豆、そして胡麻の粉末ときな粉を混ぜた「胡麻きな粉」(パンやヨーグルトにふりかける)

朝食にこれだけ食べた後、
昼は妻が作ってくれた2段重ねの弁当だから、
かなりの健啖家である。
さすがに「最近は減った」そうだが、
メニューを聞いてみると、食パンが1枚に減り、
果物や野菜はスムージーになったぐらいで、
とても100歳を超えた人の食事とは思えなかった。
ただ量が多いから健康というよりも、
発酵食品や植物性と動物性のタンパク質を
バランスよくとっているように思う。

もうひとつ、当時の疋田さんが強調したのは、
「老人神話を捨てなさい」だった。
世の中には年を取ると人間が変わるようなイメージがあり、
そのために人生を狂わせられるひともいる。

佐賀町で、
妻に先立たれてから脳卒中になって半身が麻痺した男性がいた。
その男性は疋田さんの指導でリハビリに励んでいたが、
ある時分からあまりにも熱心にリハビリをするので、
親しい患者さんに聞いてみると、
茶飲み友達の女性ができて、
元気な姿を見せたい一心で励んでいるのだという。
ところが、しばらくしてリハビリに来なくなった。
女性と会っていることを知った男性の家族が、
「年甲斐もない」と憤慨し、
相手の女性に会わないでくれと伝えたそうだ。
女性が来なくなると男性は
リハビリに見向きもしなくなり、
やがて寝たきりになってしまった。

老人が恋をするなんて気持ち悪い、
あり得ないといった神話が社会にあるからだろう。
ある年齢集団に対する偏見や差別をエイジズムというが、
実際には肉体の衰えや記憶力の低下などがあっても、
年を取ったからといって別人になるわけではない。
老人に対する偏見がなかったら、
この男性も寝たきりになることはなかっただろうし、
女性と会うことで充実した毎日を送っていたのではないだろうか。

久しぶりに昔のデータを読み返しながら、
当時を回想して書き直したのが
『102歳の医師が教えてくれた満足な生と死』(松柏社)である。
当時は疋田善平という人物に惹かれて書いたが、
今はむしろ、自分にとって役立つ情報が
たくさんあることに気づいたことで、
私にとって「満足死」が
より身近になったことを感じる。

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今回はノンフィクション作家、奥野 修司さんの記事を引用させていただきました
元記事はこちら→高知県の102歳の医師が教えてくれた「死ぬ1週間前」まで健康でいられる「秘伝」(奥野 修司) | 現代ビジネス | 講談社(1/3) (gendai.media)

奥野 修司さんプロフィール
ノンフィクション作家。『ナツコ――沖縄密貿易の女王』で、講談社ノンフィクション賞と大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞。『ねじれた絆――赤ちゃん取り違え事件の十七年』『心にナイフをしのばせて』『魂でもいいから、そばにいて――3・11後の霊体験を聞く』ほか著書多数。